カテゴリー : 2010年 5月

龍馬伝 近藤です!

実は隠れ大河ファンなので、日曜の夜は大河しか見ません。年々ドラマの作風というのでしょうか、構成がかなり変わってきていて、最近では「歴史」の意味を考える、というものから歴史上の人物がもし○○○だったら~、つまり龍馬が福山だったらー、、、みたいなノリに変わってきてる気がします

龍馬は70点

くらいの評価をしてます。これってキビシイと思いますか。いや個人的には十分満足してるんですよね、ここ数年内では最高の出来だと思いますよ。じゃなぜ龍馬が70点かというと、回りのキャラがスンゲーからですな。といって

タケチーぃ、

でも

ヤタローぅ、

でも

イゾーぅ

でもありません。今回登場した『近藤勇』のキレ方もよかったです。歴代の近藤勇像のなかではダントツのキレ方だと思います!まさしく問答無用で近藤ですなぁー、でもって

コンドーです

容堂公のナカの人。コンドーですの近藤正臣。このキレ方は、もう、たまらんきー、これから、、、龍馬が没した後にも、、、そのキレ方には拍車かかるんだからネ。龍馬暗殺までは第二部でしたー。続いて第三部~って続けて欲しいなぁ

フローズン・ショルダー

ショルダーブロック、ショルダー・バスター、ショルダーレッグブリーカー、、、そんなもん比べもんにならんくらい強烈である。激痛!貧弱者なワタシはすぐにギブアップのタップをする。それは突然に襲い来る!!究極の関節技

さっき、お風呂に入ろうとしてシャツを脱ごうとしたら右肩に激痛がぁっっく、くー!痛っ、痛いー。全く肩が上がらないし、回らない。シャツの袖から腕を引き抜こうにも固まって全くうごかせない。

フローズン・ショルダー

【frozen sholder】

こう書くとカッコイイが。「凍てつく肩」とはよく言ったものだ。最初にこの文字を見たのはレセプトの病名点検のとき。カルテにこの文字を見つけたとき、なんだろう?と思ったが、先生に確認したら、日本語に書き換えて貰った・・・

五十肩

うひゃ。そしてその原因は、、、

老化

関節という複雑な動きをする部分。そこを包む筋肉も複雑に走っていて、そこが老化に伴って異常を来すと。肩がバカになる。そういう状態、、、そう言ってもわかりにくいでしょうが、

・服を脱ぐ
・腕を回す
・腕をひねる

こうした動きで激痛!ってのが代表的な症状。風呂に入ろうとしてシャツを脱ごうとして激痛。さらに頭をシャンプーしようと(腕の回転)したら激痛!!まさしくビンゴだよ。普段は気を廻さない関節の動きだが。ずいぶんと複雑な動きをしている。やっぱ複雑な動きの多い利き腕に多いんだろう。

ギシギシしたと思ったら、即、油差しとくべきだった鴨w

シャングリ・ラ

春は終了したんだろう?

雨、雨、雨だ。それにしては寒新緑の枝い気もする。本当なら5月の下旬って、初夏のさわやな頃のハズ。今年は随分と冷えるなぁ。田んぼに水が入り田植えも終わって、カエルの声が聞こえる頃。だけど今年は低温のせいかカエルも静かだ。田んぼの水も冷たいのだろう

それにしてもこの緑の優勢な勢いはどうだ!まさしく「シャングリ・ラ」のようじゃないか、人類が、カエルがそんなに凍えようとも、、、温暖化じゃなくったって、、、植物の生命力は計り知れないのだな

「シャ ングリ・ラ」で描かれたのは温暖化が進行し、植物が猛威をふるう近未来?での人類の生き残りをかけた戦いの姿だが、どっこい寒ければ寒くても植物はやっぱ生き延びるんじゃないか?どっちにしても人類の方が先にまいってしまうのだな

こんもりと茂る公園の裏の繁る緑道に、忘れ去られたような裏通りだからろくに手入れもされずにあるんだろうが、こうして人目の届かないところで植物たちはあふれ出さんばかりだ。雨ばかりでちょっとふさぎ込んでる今日この頃、この木々の葉っぱの生命力を見習わないといけな鴨。ふさぎ込んでる、凍えて縮こまってる・・・

バヤイじゃヤバイ!

カエルの歌が

僕の住まいは、とある地方都市の、、、一応県庁所在地。その郊外にあって、いわゆる新興住宅地だ。昔は田んぼだったところをガツンと埋め立て、埋め立てしつつ広がった。その地域で比較的新しい地域、すなわち周辺部にある

だもんだから周辺にはまだチラホラと田んぼが残ってたりするわけだ。減反もあって雑草が生えるだけの田んぼの方が多いけども、まだ田んぼはチラホラと残っている。なのにどいういうわけか、住宅地の中に、一枚田んぼが残っているのだな。中といっても新しい住宅地が広がるときに取り残された三角な境目。そこに田んぼが水をたたえていてね、今日も、、、

ゲーゲーゲー

とカエルが泣いているのさ。しかし住宅地の中に取り残されたような、こんなへんぴ?な田んぼの中でのカエルが大合唱。ずーっと続く、比較的新しい家々の連なりを超えたところにそれはあって。住宅地の中、本来は公園でもあるようなトコロにカエルがいる、、、こんな住宅地の真ん中の田んぼ。そこにどこからカエルが入り込むんだろ?それともすーっと住み着いていいる

大家族

なんだろうか。一族郎党!

平均余命

平均余命とはアル年齢の人間がアト何年は戦える!じゃない生きられるという期待される年数のことだ。だから0歳児の平均余命はすなわち平均寿命だ。んでもてこれはあくまでも期待値であるから、あのマクベ中将・・・ワタシの最も敬愛する人物だが・・・が放ったセリフ

あと10年は戦える

と豪語しておきながら、実のところは半年たらずでジオンは壊滅してしまったことは忘れることができない。すなわち期待値でしかなかったわけだ・・・詳しい数式は平均余命(Wikipedia) を参照されたい。つまり確率の問題。じつは、ヲレ、この確率というヤツが大嫌い!

確率は当事者にとって無意味だ

事故や、結婚や、病気、生死、、、生活の局面を「確率」で論じてみても10%未満だから大丈夫とか、9割9分OKとか、気休めにすぎない。今のこの瞬間にだってその確率のせいで車にハネられたり、ハネたりだなぁ、当事者がこの世の中に存在していて。畜生ぅ、

なんでヲレばッか、、、

とぼやいてもなんの意味もない。また自分がそういう局面に応じる確率は常に不変だから、どこかのだれかが身代わりになってくれたなんて安心することさえ出来ず。事故だけじゃなくて、病いや、天変地異、怪奇現象だって起こりうるんだぜ!!

期待してんじゃねーョ!

ってことだ。んで

期待されてるんじゃねーょ!

ってことだな。今、不治の病が発見されあと半年の命と言われたヒトの余命の過ごし方と、告知されたい人の心情・・・告知の内容によるが・・・がよくわかりません。あるていど確率的に確実な余命の期待値を確立することと、それでその人のそれ以降の過ごし方と、全然健康だけども、実はスンゲー確立で明日!車にハネられるコトを期待される人の

今日という時間

はにどんな意味があるのだろう?